数えられる?

家の近くには水田が広がるのどかな地域があり、疲れた時にそこに立ち止まって、水田とその背後にある山を見ながら少し心を癒す。先日は、風に揺られている稲の姿が目に入り、その数の多さを改めて思わされた。本数が非常に多くて、また収穫間際の米粒の数がさらに何百倍と多いので、収穫量の重さを計ることができても、本数や粒の数を計ることは不可能なのだ。昨年、バングラデシュの首都、ダッカで2週間ほど過ごし、迫ってくる人の多さに圧倒された。人間ならばまだしも数えられるかも知れないが、スラム街を歩くと行政に忘れられ、親にさえ見捨てられた弱者の哀れな姿を見せられた時、人間の尊厳の欠如を痛感させられた。世界の人口は70億人と言われているが、正確な数を把握することは非常に難しい。また、全ての人を養うことも困難。例え、物質的に養えても、心のニーズまで満たすことが到底人間にはできない。しかし、人間には不可能なことは天と地を造られた全能の神には、可能なのである。聖書によると、神は一人一人の名前を知っておられるとあり、「髪の毛の数まで把握している」と書かれている。あなたは、数えることができなくても、あなたの存在は神に確かに数えられている。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです」 第一ペテロ5章7節 (聖書)

2013 年 7 月 18 日18. 7月 2013 by JonDugan
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