休み下手

子供の頃、学校の冬休みや夏休みほど楽しいことがなかく、休みが始まるとパジャマ姿のまま家でごろごろして、おもちゃで遊び、想像の世界に耽っていた。心配ごとと言えば、雨が降ったら外で遊べないかぐらいのことだった。テレビが流行り出したころだったので、親はテレビの影響力を心配し、見すぎないように見る時間を制限。今思えば気楽でとてもいい時代だった。成長と共に責任感を覚え、働くことに喜びを見つけるようになった。しかし、その一方、忙しいことが一つの基準になり、まとまった休みが与えられると、心がそわそわして、暇が「負担」に感じてしまうようになった。なぜ、喜びであるはずの休みが魅力を失ったのだろうか。それは、きっと価値観の変化のため。大人になるにつれて、生産することが何よりも大事になり、暇がなんとなく意味のない無駄な時間に思うようになったからだろう。でも、本当はどうなんだろう。「する」ことに過剰な価値を置いているため、「いる」ことの大切さを見失ったのではないか。「できる」か「できない」かという物差しで人を測るようになると人間の存在価値がずれてしまう。ただ「いる」ことの大切さが見失われるのではないだろうか。ある意味、暇になった時こそ心の価値観が浮き彫りになるかも。あなたはどうなんだろうか。休み上手、それとも休み下手なのか?

2013 年 5 月 6 日06. 5月 2013 by JonDugan
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