雑草と雑念

梅雨の恵みの雨を受け、周辺の木々が豊かに茂っているこの季節に、我々の家の庭の植物も葉っぱを広げ、命あふれる姿を見せてくれている。昨年植えたものもしっかりと根を張って力強く成長しているので、手入れの労苦が報いられているのだ。ほんのりピンクな花を咲かせるほどまだ成長していないが、昨年植えた桜の木も一段と大きくなり、将来の可能性を思わせるほど着実に成長してきている。娘とその旦那、家内が中心になって庭師の作業に励んできたお陰で、2年前に引っ越してきた時の乱雑だった庭がだんだん整ってきつつある。相当な努力の結果。その一方、誰も植えていないはずの雑草が、同じ庭で何度抜かれても再び生えてきて、観賞植物や花よりも遥かにたくましく育ってしまう。いっそのこと、本命の植物よりも、雑草を好む努力をした方がかえって楽かも知れないと、時々思ってしまう。ああ、良いものは、多大な時間と努力がかかり、その一方、望まないものは勝手に生えて来る。そう考えると、雑念も雑草とよく似ているのかも知れない。感謝、肯定的な思い、憐れみ、優しさなど常に良い思いを心に留めるように努力しつつも、逆に妬み、怒り、思わずらい、恐れなどの雑念がどんどん入ってきて、心を占領しそうになってしまう。人間の弱さを痛感し、自分の努力に挫折を覚える。そこで、一人で頑張ることをあきらめ、庭師なる神に心の手入れをお願いする他ない。共に祈ろう「愛する神様、あなたの御手で私の心の雑念を抜いて、代わりに良い思いを植え、私の中に育てて下さい!」

2012 年 6 月 28 日28. 6月 2012 by JonDugan
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